原文《帚木》索引&検索(02001-02138)

2021-04-30

02 帚木01章(001-008)

02001 光る源氏 名のみことことしう 言ひ消たれたまふ咎多かなるに いとど かかる好きごとどもを 末の世にも聞き伝へて 軽びたる名をや流さむと 忍びたまひける隠ろへごとをさへ 語り伝へけむ人のもの言ひさがなさよ
02002 さるは いといたく世を憚り まめだちたまひけるほど なよびかにをかしきことはなくて 交野少将には笑はれたまひけむかし
02003 まだ中将などにものしたまひし時は 内裏にのみさぶらひようしたまひて 大殿には絶え絶えまかでたまふ
02004 忍ぶの乱れやと 疑ひきこゆることもありしかど さしもあだめき目馴れたるうちつけの好き好きしさなどは好ましからぬ御本性にて まれには あながちに引き違へ心尽くしなることを 御心に思しとどむる癖なむ あやにくにて さるまじき御振る舞ひもうち混じりける
02005 長雨晴れ間なきころ 内裏の御物忌さし続きて いとど長居さぶらひたまふを 大殿にはおぼつかなく恨めしく思したれど よろづの御よそひ何くれとめづらしきさまに調じ出でたまひつつ 御息子の君たちただこの御宿直所の宮仕へを勤めたまふ
02006 宮腹の中将は なかに親しく馴れきこえたまひて 遊び戯れをも人よりは心安く なれなれしく振る舞ひたり
02007 右大臣のいたはりかしづきたまふ住み処は この君もいともの憂くして 好きがましきあだ人なり
02008 里にても わが方のしつらひまばゆくして 君の出で入りしたまふにうち連れきこえたまひつつ 夜昼 学問をも遊びをももろともにして をさをさ立ちおくれず いづくにてもまつはれきこえたまふほどに おのづからかしこまりもえおかず 心のうちに思ふことをも隠しあへずなむ 睦れきこえたまひける


02 帚木02章(009-031)

02009 つれづれと降り暮らして しめやかなる宵の雨に 殿上にもをさをさ人少なに 御宿直所も例よりはのどやかなる心地するに 大殿油近くて書どもなど見たまふ
02010 近き御厨子なる色々の紙なる文どもを引き出でて 中将わりなくゆかしがれば
02011 さりぬべき すこしは見せむ かたはなるべきもこそ と 許したまはねば
02012 そのうちとけてかたはらいたしと思されむこそゆかしけれ おしなべたるおほかたのは 数ならねど 程々につけて 書き交はしつつも見はべりなむ おのがじし 恨めしき折々 待ち顔ならむ夕暮れなどのこそ 見所はあらめ と怨ずれば
02013 やむごとなくせちに隠したまふべきなどは かやうにおほぞうなる御厨子などにうち置き散らしたまふべくもあらず 深くとり置きたまふべかめれば 二の町の心安きなるべし
02014 片端づつ見るに かくさまざまなる物どもこそはべりけれ とて 心あてに それか かれか など問ふなかに 言ひ当つるもあり もて離れたることをも思ひ寄せて疑ふも をかしと思せど 言少なにてとかく紛らはしつつ とり隠したまひつ
02015 そこにこそ多く集へたまふらめ すこし見ばや さてなむ この厨子も心よく開くべき とのたまへば
02016 御覧じ所あらむこそ 難くはべらめ など聞こえたまふついでに
02017 女の これはしもと難つくまじきは 難くもあるかなと やうやうなむ見たまへ知る
02018 ただうはべばかりの情けに 手走り書き をりふしの答へ心得て うちしなどばかりは 随分によろしきも多かりと見たまふれど そもまことにその方を取り出でむ選びにかならず漏るまじきは いと難しや
02019 わが心得たることばかりを おのがじし心をやりて 人をば落としめなど かたはらいたきこと多かり
02020 親など立ち添ひもてあがめて 生ひ先籠れる窓の内なるほどは ただ片かどを聞き伝へて 心を動かすこともあめり
02021 容貌をかしくうちおほどき 若やかにて紛るることなきほど はかなきすさびをも 人まねに心を入るることもあるに おのづから一つゆゑづけてし出づることもあり
02022 見る人 後れたる方をば言ひ隠し さてありぬべき方をばつくろひて まねび出だすに それ しかあらじと そらにいかがは推し量り思ひくたさむ まことかと見もてゆくに 見劣りせぬやうは なくなむあるべき と うめきたる気色も恥づかしげなれば
02023 いとなべてはあらねど われ思し合はすることやあらむ うちほほ笑みて その 片かどもなき人は あらむや とのたまへば
02024 いと さばかりならむあたりには 誰れかはすかされ寄りはべらむ
02025 取るかたなく口惜しき際と 優なりとおぼゆばかりすぐれたるとは 数等しくこそはべらめ
02026 人の品高く生まれぬれば 人にもてかしづかれて 隠るること多く 自然にそのけはひこよなかるべし
02027 中の品になむ 人の心々 おのがじしの立てたるおもむきも見えて 分かるべきことかたがた多かるべき
02028 下のきざみといふ際になれば ことに耳たたずかし とて いと隈なげなる気色なるも ゆかしくて
02029 その品々や いかに いづれを三つの品に置きてか分くべき 元の品高く生まれながら 身は沈み 位みじかくて人げなき また直人の上達部などまでなり上り 我は顔にて家の内を飾り 人に劣らじと思へる そのけぢめをば いかが分くべき と問ひたまふほどに 左馬頭 藤式部丞 御物忌に籠もらむとて参れり
02030 世の好き者にて物よく言ひとほれるを 中将待ちとりて この品々をわきまへ定め争ふ
02031 いと聞きにくきこと多かり


02 帚木03章(032-046)

02032 なり上れども もとよりさるべき筋ならぬは 世人の思へることも さは言へど なほことなり
02033 また 元はやむごとなき筋なれど 世に経るたづき少なく 時世に移ろひて おぼえ衰へぬれば 心は心としてこと足らず 悪ろびたることども出でくるわざなめれば とりどりにことわりて 中の品にぞ置くべき
02034 受領と言ひて 人の国のことにかかづらひ営みて 品定まりたる中にも またきざみきざみありて 中の品のけしうはあらぬ 選り出でつべきころほひなり
02035 なまなまの上達部よりも非参議の四位どもの 世のおぼえ口惜しからず もとの根ざし卑しからぬ やすらかに身をもてなしふるまひたる いとかはらかなりや 家の内に足らぬことなど はたなかめるままに 省かずまばゆきまでもてかしづける女などの おとしめがたく生ひ出づるもあまたあるべし
02036 宮仕へに出で立ちて 思ひかけぬ幸ひとり出づる例ども多かりかし など言へば
02037 すべて にぎははしきによるべきななり とて 笑ひたまふを 異人の言はむやうに 心得ず仰せらる と 中将憎む
02038 元の品 時世のおぼえうち合ひ やむごとなきあたりの内々のもてなしけはひ後れたらむは さらにも言はず 何をしてかく生ひ出でけむと 言ふかひなくおぼゆべし
02039 うち合ひてすぐれたらむもことわり これこそはさるべきこととおぼえて めづらかなることと心も驚くまじ
02040 なにがしが及ぶべきほどならねば 上が上はうちおきはべりぬ
02041 さて 世にありと人に知られず さびしくあばれたらむ葎の門に 思ひの外にらうたげならむ人の閉ぢられたらむこそ 限りなくめづらしくはおぼえめ
02042 いかで はたかかりけむと 思ふより違へることなむ あやしく心とまるわざなる
02043 父の年老い ものむつかしげに太りすぎ 兄の顔憎げに 思ひやりことなることなき閨の内に いといたく思ひあがり はかなくし出でたることわざも ゆゑなからず見えたらむ片かどにても いかが思ひの外にをかしからざらむ
02044 すぐれて疵なき方の選びにこそ及ばざらめ さる方にて捨てがたきものをは とて 式部を見やれば わが妹どものよろしき聞こえあるを思ひてのたまふにや とや心得らむ ものも言はず
02045 いでや 上の品と思ふにだに難げなる世を と 君は思すべし
02046 白き御衣どものなよらかなるに 直衣ばかりをしどけなく着なしたまひて 紐などもうち捨てて 添ひ臥したまへる御火影 いとめでたく 女にて見たてまつらまほし この御ためには上が上を選り出でても なほ飽くまじく見えたまふ


02 帚木04章(047-061)

02047 さまざまの人の上どもを語り合はせつつ
02048 おほかたの世につけて見るには咎なきも わがものとうち頼むべきを選らむに 多かる中にも えなむ思ひ定むまじかりける
02049 男の朝廷に仕うまつり はかばかしき世のかためとなるべきも まことの器ものとなるべきを取り出ださむには かたかるべしかし
02050 されど賢しとても 一人二人世の中をまつりごちしるべきならねば 上は下に輔けられ 下は上になびきて こと広きにゆつらふらむ
02051 狭き家の内の主人とすべき人一人を思ひめぐらすに 足らはで悪しかるべき大事どもなむかたがた多かる
02052 とあればかかりあふさきるさにて なのめにさてもありぬべき人の少なきを 好き好きしき心のすさびにて 人のありさまをあまた見合はせむの好みならねど ひとへに思ひ定むべきよるべとすばかりに 同じくはわが力入りをし直しひきつくろふべき所なく 心にかなふやうにもやと 選りそめつる人の定まりがたきなるべし
02053 かならずしもわが思ふにかなはねど 見そめつる契りばかりを捨てがたく思ひとまる人は ものまめやかなりと見え さて 保たるる女のためも 心にくく推し量らるるなり
02054 されど何か 世のありさまを見たまへ集むるままに 心に及ばずいとゆかしきこともなしや 君達の上なき御選びには ましていかばかりの人かは足らひたまはむ
02055 容貌きたなげなく若やかなるほどの おのがじしは塵もつかじと身をもてなし 文を書けどおほどかに言選りをし 墨つきほのかに心もとなく思はせつつ またさやかにも見てしがなとすべなく待たせ わづかなる声聞くばかり言ひ寄れど 息の下にひき入れ言少ななるが いとよくもて隠すなりけり
02056 なよびかに女しと見れば あまり情けにひきこめられて とりなせばあだめく これをはじめの難とすべし
02057 事が中に なのめなるまじき人の後見の方は もののあはれ知り過ぐし はかなきついでの情けあり をかしきに進める方なくてもよかるべしと見えたるに
02058 また まめまめしき筋を立てて 耳はさみがちに 美さうなき家刀自の ひとへにうちとけたる後見ばかりをして 朝夕の出で入りにつけても 公私の人のたたずまひ 善き悪しきことの目にも耳にもとまるありさまを 疎き人にわざとうちまねばむやは 近くて見む人の聞きわき思ひ知るべからむに語りも合はせばやと うちも笑まれ涙もさしぐみ もしはあやなきおほやけ腹立たしく心ひとつに思ひあまることなど多かるを 何にかは聞かせむと思へば うちそむかれて人知れぬ思ひ出で笑ひもせられ あはれともうち独りごたるるに 何ごとぞなどあはつかにさし仰ぎゐたらむは いかがは口惜しからぬ
02059 ただひたふるに子めきて柔らかならむ人を とかくひきつくろひてはなどか見ざらむ 心もとなくとも直し所ある心地すべし
02060 げにさし向ひて見むほどは さてもらうたき方に罪ゆるし見るべきを 立ち離れてさるべきことをも言ひやり をりふしにし出でむわざのあだ事にもまめ事にも わが心と思ひ得ることなく深きいたりなからむは いと口惜しく頼もしげなき咎や なほ苦しからむ
02061 常はすこしそばそばしく心づきなき人の をりふしにつけて出でばえするやうもありかしなど 隈なきもの言ひも 定めかねていたくうち嘆く


02 帚木05章(062-082)

02062 今はただ 品にもよらじ 容貌をばさらにも言はじ
02063 いと口惜しくねぢけがましきおぼえだになくは ただひとへにものまめやかに静かなる心のおもむきならむよるべをぞ つひの頼み所には思ひおくべかりける
02064 あまりのゆゑよし心ばせうち添へたらむをばよろこびに思ひ すこし後れたる方あらむをもあながちに求め加へじ うしろやすくのどけき所だに強くは うはべの情けはおのづからもてつけつべきわざをや
02065 艶にもの恥ぢして 恨み言ふべきことをも見知らぬさまに忍びて 上はつれなくみさをづくり 心一つに思ひあまる時は 言はむかたなくすごき言の葉あはれなる歌を詠みおき しのばるべき形見をとどめて 深き山里世離れたる海づらなどにはひ隠れぬるをり
02066 童にはべりし時 女房などの物語読みしを聞きて いとあはれに悲しく心深きことかなと涙をさへなむ落としはべりし 今思ふには いと軽々しくことさらびたることなり
02067 心ざし深からむ男をおきて 見る目の前につらきことありとも 人の心を見知らぬやうに逃げ隠れて 人をまどはし心を見むとするほどに 長き世のもの思ひになる いとあぢきなきことなり
02068 心深しやなどほめたてられて あはれ進みぬればやがて尼になりぬかし
02069 思ひ立つほどはいと心澄めるやうにて 世に返り見すべくも思へらず
02070 いであな悲し かくはた思しなりにけるよなどやうに あひ知れる人来とぶらひ ひたすらに憂しとも 思ひ離れぬ男聞きつけて 涙落とせば 使ふ人古御達など 君の御心はあはれなりけるものを あたら御身をなど言ふ
02071 みづから額髪をかきさぐりて あへなく心細ければ うちひそみぬかし
02072 忍ぶれど涙こぼれそめぬれば 折々ごとにえ念じえず 悔しきこと多かめるに 仏もなかなか心ぎたなし と見たまひつべし
02073 濁りにしめるほどよりも なま浮かびにては かへりて悪しき道にも漂ひぬべくぞおぼゆる
02074 絶えぬ宿世浅からで 尼にもなさで尋ね取りたらむも やがてあひ添ひて とあらむ折もかからむきざみをも 見過ぐしたらむ仲こそ契り深くあはれならめ 我も人もうしろめたく心おかれじやは
02075 また なのめに移ろふ方あらむ人を恨みて 気色ばみ背かむ はたをこがましかりなむ 心は移ろふ方ありとも 見そめし心ざしいとほしく思はば さる方のよすがに思ひてもありぬべきに さやうならむたぢろきに 絶えぬべきわざなり
02076 すべて よろづのことなだらかに 怨ずべきことをば見知れるさまにほのめかし 恨むべからむふしをも憎からずかすめなさば それにつけて あはれもまさりぬべし
02077 多くは わが心も見る人からをさまりもすべし
02078 あまりむげにうちゆるべ見放ちたるも 心安くらうたきやうなれど おのづから軽き方にぞおぼえはべるかし
02079 繋がぬ舟の浮きたる例もげにあやなし さははべらぬかと言へば 中将うなづく
02080 さしあたりて をかしともあはれとも心に入らむ人の 頼もしげなき疑ひあらむこそ 大事なるべけれ
02081 わが心あやまちなくて見過ぐさば さし直してもなどか見ざらむとおぼえたれど それさしもあらじ
02082 ともかくも 違ふべきふしあらむを のどやかに見忍ばむよりほかに ますことあるまじかりけり と言ひて わが妹の姫君は この定めにかなひたまへりと思へば 君のうちねぶりて言葉まぜたまはぬを さうざうしく心やましと思ふ


02 帚木06章(083-093)

02083 馬頭物定めの博士になりて ひひらきゐたり
02084 中将は このことわり聞き果てむと 心入れて あへしらひゐたまへり
02085 よろづのことによそへて思せ
02086 木の道の匠のよろづの物を心にまかせて作り出だすも 臨時のもてあそび物の その物と跡も定まらぬは そばつきさればみたるも げにかうもしつべかりけりと 時につけつつさまを変へて 今めかしきに目移りてをかしきもあり 大事として まことにうるはしき人の調度の飾りとする 定まれるやうある物を難なくし出づることなむ なほまことの物の上手は さまことに見え分かれはべる
02087 また絵所に上手多かれど 墨がきに選ばれて 次々にさらに劣りまさるけぢめ ふとしも見え分かれず
02088 かかれど 人の見及ばぬ蓬莱の山 荒海の怒れる魚の姿 唐国のはげしき獣の形 目に見えぬ鬼の顔などのおどろおどろしく作りたる物は 心にまかせてひときは目驚かして 実には似ざらめどさてありぬべし 世の常の山のたたずまひ 水の流れ 目に近き人の家居ありさま げにと見え なつかしくやはらいだる形などを静かに描きまぜて すくよかならぬ山の景色 木深く世離れて畳みなし け近き籬の内をば その心しらひおきてなどをなむ 上手はいと勢ひことに 悪ろ者は及ばぬ所多かめる
02089 手を書きたるにも 深きことはなくて ここかしこの点長に走り書き そこはかとなく気色ばめるは うち見るにかどかどしく気色だちたれど なほまことの筋をこまやかに書き得たるは うはべの筆消えて見ゆれど 今ひとたびとり並べて見れば なほ実になむよりける
02090 はかなきことだにかくこそはべれ まして人の心の時にあたりて気色ばめらむ見る目の情けをば え頼むまじく思うたまへ得てはべる
02091 そのはじめのこと 好き好きしくとも申しはべらむとて近くゐ寄れば 君も目覚ましたまふ
02092 中将いみじく信じて 頬杖をつきて向かひゐたまへり
02093 法の師の世のことわり説き聞かせむ所の心地するもかつはをかしけれど かかるついではおのおの睦言もえ忍びとどめずなむありける


02 帚木07章(094-102)

02094 はやう まだいと下臈にはべりし時 あはれと思ふ人はべりき 聞こえさせつるやうに 容貌などいとまほにもはべらざりしかば 若きほどの好き心には この人をとまりにとも思ひとどめはべらず よるべとは思ひながら さうざうしくて とかく紛れはべりしを もの怨じをいたくしはべりしかば 心づきなく いとかからでおいらかならましかばと思ひつつ あまりいと許しなく疑ひはべりしもうるさくて かく数ならぬ身を見も放たで などかくしも思ふらむと 心苦しき折々もはべりて 自然に心をさめらるるやうになむはべりし
02095 この女のあるやう もとより思ひいたらざりけることにも いかでこの人のためにはと なき手を出だし 後れたる筋の心をも なほ口惜しくは見えじと思ひはげみつつ とにかくにつけて ものまめやかに後見 つゆにても心に違ふことはなくもがなと思へりしほどに 進める方と思ひしかど とかくになびきてなよびゆき 醜き容貌をも この人に見や疎まれむと わりなく思ひつくろひ 疎き人に見えば 面伏せにや思はむと 憚り恥ぢて みさをにもてつけて見馴るるままに 心もけしうはあらずはべりしかど ただこの憎き方一つなむ心をさめずはべりし
02096 そのかみ思ひはべりしやう かうあながちに従ひ怖ぢたる人なめり いかで懲るばかりのわざして おどして この方もすこしよろしくもなり さがなさもやめむと思ひて まことに憂しなども思ひて絶えぬべき気色ならば かばかり我に従ふ心ならば思ひ懲りなむと思うたまへ得て ことさらに情けなくつれなきさまを見せて 例の腹立ち怨ずるに かくおぞましくは いみじき契り深くとも 絶えてまた見じ 限りと思はば かくわりなきもの疑ひはせよ 行く先長く見えむと思はば つらきことありとも 念じてなのめに思ひなりて かかる心だに失せなば いとあはれとなむ思ふべき 人並々にもなり すこしおとなびむに添へて また並ぶ人なくあるべきやうなど かしこく教へたつるかなと思ひたまへて われたけく言ひそしはべるに すこしうち笑ひて よろづに見立てなく ものげなきほどを見過ぐして 人数なる世もやと待つ方は いとのどかに思ひなされて 心やましくもあらず つらき心を忍びて 思ひ直らむ折を見つけむと 年月を重ねむあいな頼みは いと苦しくなむあるべければ かたみに背きぬべききざみになむある とねたげに言ふに 腹立たしくなりて 憎げなることどもを言ひはげましはべるに 女もえをさめぬ筋にて 指ひとつを引き寄せて喰ひてはべりしを おどろおどろしくかこちて かかる疵さへつきぬれば いよいよ交じらひをすべきにもあらず 辱めたまふめる官位 いとどしく何につけてかは人めかむ 世を背きぬべき身なめりなど言ひ脅して さらば 今日こそは限りなめれと この指をかがめてまかでぬ
02097  手を折りてあひ見しことを数ふればこれひとつやは君が憂きふし
えうらみじなど言ひはべれば さすがにうち泣きて 憂きふしを心ひとつに数へきてこや君が手を別るべきをり など 言ひしろひはべりしかど まことには変るべきこととも思ひたまへずながら 日ごろ経るまで消息も遣はさず あくがれまかり歩くに 臨時の祭の調楽に 夜更けていみじう霙降る夜 これかれまかりあかるる所にて 思ひめぐらせば なほ家路と思はむ方はまたなかりけり
02098 内裏わたりの旅寝すさまじかるべく 気色ばめるあたりはそぞろ寒くや と思ひたまへられしかば いかが思へると 気色も見がてら 雪をうち払ひつつ なま人悪ろく爪喰はるれど さりとも今宵日ごろの恨みは解けなむ と思うたまへしに 火ほのかに壁に背け 萎えたる衣どもの厚肥えたる 大いなる籠にうち掛けて 引き上ぐべきものの帷子などうち上げて 今宵ばかりやと 待ちけるさまなり
02099 さればよと心おごりするに 正身はなし さるべき女房どもばかりとまりて 親の家に この夜さりなむ渡りぬると答へはべり 艶なる歌も詠まず 気色ばめる消息もせで いとひたや籠もりに情けなかりしかば あへなき心地して さがなく許しなかりしも 我を疎みねと思ふ方の心やありけむと さしも見たまへざりしことなれど 心やましきままに思ひはべりしに 着るべき物 常よりも心とどめたる色あひ しざまいとあらまほしくて さすがにわが見捨ててむ後をさへなむ 思ひやり後見たりし
02100 さりとも 絶えて思ひ放つやうはあらじと思うたまへて とかく言ひはべりしを 背きもせずと 尋ねまどはさむとも隠れ忍びず かかやかしからず答へつつ ただ ありしながらは えなむ見過ぐすまじき あらためてのどかに思ひならばなむ あひ見るべきなど言ひしを さりともえ思ひ離れじと思ひたまへしかば しばし懲らさむの心にて しかあらためむとも言はず いたく綱引きて見せしあひだに いといたく思ひ嘆きて はかなくなりはべりにしかば 戯れにくくなむおぼえはべりし
02101 ひとへにうち頼みたらむ方は さばかりにてありぬべくなむ思ひたまへ出でらるる はかなきあだ事をもまことの大事をも 言ひあはせたるにかひなからず 龍田姫と言はむにもつきなからず 織女の手にも劣るまじく その方も具して うるさくなむはべりし とて いとあはれと思ひ出でたり
02102 中将 その織女の裁ち縫ふ方をのどめて 長き契りにぞあえまし げに その龍田姫の錦には またしくものあらじ はかなき花紅葉といふも をりふしの色あひつきなく はかばかしからぬは 露のはえなく消えぬるわざなり さあるにより 難き世とは 定めかねたるぞや と言ひはやしたまふ


02帚木08章(103-107)

02103 さて また同じころ まかり通ひし所は 人も立ちまさり 心ばせまことにゆゑありと見えぬべく うち詠み 走り書き 掻い弾く爪音 手つき口つき みなたどたどしからず見聞きわたりはべりき 見る目もこともなくはべりしかば このさがな者をうちとけたる方にて 時々隠ろへ見はべりしほどは こよなく心とまりはべりき この人亡せて後 いかがはせむ あはれながらも過ぎぬるはかひなくて しばしばまかり馴るるには すこしまばゆく 艶に好ましきことは目につかぬ所あるに うち頼むべくは見えず かれがれにのみ見せはべるほどに 忍びて心交はせる人ぞありけらし
02104 神無月のころほひ 月おもしろかりし夜 内裏よりまかではべるに ある上人来あひてこの車にあひ乗りてはべれば 大納言の家にまかり泊まらむとするに この人言ふやう 今宵人待つらむ宿なむ あやしく心苦しきとて この女の家はた 避きぬ道なりければ 荒れたる崩れより池の水かげ見えて 月だに宿る住処を過ぎむもさすがにて 下りはべりぬかし
02105 もとよりさる心を交はせるにやありけむ この男いたくすずろきて 門近き廊の簀子だつものに尻かけて とばかり月を見る 菊いとおもしろく移ろひわたり 風に競へる紅葉の乱れなど あはれと げに見えたり 懐なりける笛取り出でて吹き鳴らし 蔭もよしなどつづしり謡ふほどに よく鳴る和琴を 調べととのへたりける うるはしく掻き合はせたりしほど けしうはあらずかし 律の調べは 女のものやはらかに掻き鳴らして 簾の内より聞こえたるも 今めきたる物の声なれば 清く澄める月に折つきなからず 男いたくめでて 簾のもとに歩み来て 庭の紅葉こそ 踏み分けたる跡もなけれなどねたます
02106 菊を折りて 琴の音も月もえならぬ宿ながらつれなき人をひきやとめける 悪ろかめりなど言ひて 今ひと声 聞きはやすべき人のある時 手な残いたまひそなど いたくあざれかかれば 女いたう声つくろひて 木枯に吹きあはすめる笛の音をひきとどむべき言の葉ぞなき となまめき交はすに 憎くなるをも知らで また 箏の琴を盤渉調に調べて 今めかしく掻い弾きたる爪音 かどなきにはあらねど まばゆき心地なむしはべりし ただ時々うち語らふ宮仕へ人などのあくまでさればみ好きたるは さても見る限りはをかしくもありぬべし 時々にても さる所にて忘れぬよすがと思ひたまへむには 頼もしげなくさし過ぐいたりと心おかれて その夜のことにことつけてこそ まかり絶えにしか
02107 この二つのことを思うたまへあはするに 若き時の心にだに なほさやうにもて出でたることは いとあやしく頼もしげなくおぼえはべりき 今より後はましてさのみなむ思ひたまへらるべき 御心のままに 折らば落ちぬべき萩の露 拾はば消えなむと見る玉笹の上の霰などの 艶にあえかなる好き好きしさのみこそ をかしく思さるらめ 今さりとも 七年あまりがほどに思し知りはべなむ なにがしがいやしき諌めにて 好きたわめらむ女に心おかせたまへ 過ちして 見む人のかたくななる名をも立てつべきものなり と戒む 中将 例のうなづく 君すこしかた笑みて さることとは思すべかめり いづ方につけても 人悪ろくはしたなかりける身物語かな とて うち笑ひおはさうず


02帚木09章(108-112)

02108 中将 なにがしは痴者の物語をせむ とて いと忍びて見そめたりし人のさても見つべかりしけはひなりしかば ながらふべきものとしも思ひたまへざりしかど 馴れゆくままにあはれとおぼえしかば 絶え絶え忘れぬものに思ひたまへしを さばかりになれば うち頼めるけしきも見えき 頼むにつけては 恨めしと思ふこともあらむと 心ながらおぼゆるをりをりもはべりしを 見知らぬやうにて 久しきとだえをも かうたまさかなる人とも思ひたらず ただ朝夕にもてつけたらむありさまに見えて心苦しかりしかば 頼めわたることなどもありきかし 親もなくいと心細げにて さらばこの人こそはと 事にふれて思へるさまもらうたげなりき
02109 かうのどけきにおだしくて 久しくまからざりしころ この見たまふるわたりより 情けなくうたてあることをなむ さるたよりありてかすめ言はせたりける 後にこそ聞きはべりしか さる憂きことやあらむとも知らず 心には忘れずながら 消息などもせで久しくはべりしに むげに思ひしをれて心細かりければ 幼き者などもありしに思ひわづらひて 撫子の花を折りておこせたりし とて涙ぐみたり
02110 さて その文の言葉は と問ひたまへば いさや ことなることもなかりきや
 山がつの垣ほ荒るとも折々にあはれはかけよ撫子の露
思ひ出でしままにまかりたりしかば 例のうらもなきものから いと物思ひ顔にて 荒れたる家の露しげきを眺めて 虫の音に競へるけしき 昔物語めきておぼえはべりし
 咲きまじる色はいづれと分かねどもなほ常夏にしくものぞなき
大和撫子をばさしおきて まづ塵をだになど 親の心をとる
 うち払ふ袖も露けき常夏にあらし吹きそふ秋も来にけり
とはかなげに言ひなして まめまめしく恨みたるさまも見えず 涙をもらし落としても いと恥づかしくつつましげに紛らはし隠して つらきをも思ひ知りけりと見えむは わりなく苦しきものと思ひたりしかば 心やすくて またとだえ置きはべりしほどに 跡もなくこそかき消ちて失せにしか
02111 まだ世にあらば はかなき世にぞさすらふらむ あはれと思ひしほどに わづらはしげに思ひまとはすけしき見えましかば かくもあくがらさざらまし こよなきとだえおかず さるものにしなして長く見るやうもはべりなまし かの撫子のらうたくはべりしかば いかで尋ねむと思ひたまふるを 今もえこそ聞きつけはべらね これこそのたまへるはかなき例なめれ つれなくてつらしと思ひけるも知らで あはれ絶えざりしも 益なき片思ひなりけり 今やうやう忘れゆく際に かれはたえしも思ひ離れず 折々人やりならぬ胸焦がるる夕べもあらむとおぼえはべり
02112 これなむ え保つまじく頼もしげなき方なりける されば かのさがな者も 思ひ出である方に忘れがたけれど さしあたりて見むにはわづらはしく よくせずは 飽きたきこともありなむや 琴の音すすめけむかどかどしさも 好きたる罪重かるべし この心もとなきも 疑ひ添ふべければ いづれとつひに思ひ定めずなりぬるこそ 世の中や ただかくこそ とりどりに比べ苦しかるべき このさまざまのよき限りをとり具し 難ずべきくさはひまぜぬ人は いづこにかはあらむ 吉祥天女を思ひかけむとすれば 法気づきくすしからむこそ また わびしかりぬべけれ とて 皆笑ひぬ


02帚木10章(113-115)

02113 式部がところにぞ けしきあることはあらむ すこしづつ語り申せ と責めらる が下の中には なでふことか 聞こし召しどころはべらむ と言へど 頭の君 まめやかに 遅し と責めたまへば 何事をとり申さむと思ひめぐらすに まだ文章生にはべりし時 かしこき女の例をなむ見たまへし かの 馬頭の申したまへるやうに 公事をも言ひあはせ 私ざまの世に住まふべき心おきてを思ひめぐらさむ方もいたり深く 才の際なまなまの博士恥づかしく すべて口あかすべくなむはべらざりし
02114 それは ある博士のもとに学問などしはべるとて まかり通ひしほどに 主人のむすめども多かりと聞きたまへて はかなきついでに言ひ寄りてはべりしを 親聞きつけて 盃持て出でて わが両つの途歌ふを聴けとなむ 聞こえごちはべりしかど をさをさうちとけてもまからず かの親の心を憚りて さすがにかかづらひはべりしほどに いとあはれに思ひ後見 寝覚の語らひにも 身の才つき 朝廷に仕うまつるべき道々しきことを教へて いときよげに消息文にも仮名といふもの書きまぜず むべむべしく言ひまはしはべるに おのづからえまかり絶えで その者を師としてなむ わづかなる腰折文作ることなど習ひはべりしかば 今にその恩は忘れはべらねど なつかしき妻子とうち頼まむには 無才の人 なま悪ろならむ振る舞ひなど見えむに 恥づかしくなむ見えはべりし まいて君達の御ため はかばかしくしたたかなる御後見は 何にかせさせたまはむ はかなし 口惜し とかつ見つつも ただわが心につき 宿世の引く方はべるめれば 男しもなむ 仔細なきものははべめる と申せば 残りを言はせむとて さてさてをかしかりける女かな とすかいたまふを 心は得ながら 鼻のわたりをこづきて語りなす
02115 さて いと久しくまからざりしに もののたよりに立ち寄りてはべれば 常のうちとけゐたる方にははべらで 心やましき物越しにてなむ逢ひてはべる ふすぶるにやと をこがましくも また よきふしなりとも思ひたまふるに このさかし人はた 軽々しきもの怨じすべきにもあらず 世の道理を思ひとりて恨みざりけり 声もはやりかにて言ふやう 月ごろ 風病重きに堪へかねて 極熱の草薬を服して いと臭きによりなむ え対面賜はらぬ 目のあたりならずとも さるべからむ雑事らは承らむ と いとあはれにむべむべしく言ひはべり 答へに何とかは ただ承りぬとて 立ち出ではべるに さうざうしくやおぼえけむ この香失せなむ時に立ち寄りたまへ と高やかに言ふを 聞き過ぐさむもいとほし しばしやすらふべきに はたはべらねば げにそのにほひさへ はなやかにたち添へるも術なくて 逃げ目をつかひて
 ささがにのふるまひしるき夕暮れにひるま過ぐせといふがあやなさ いかなることつけぞやと 言ひも果てず走り出ではべりぬるに 追ひて
 逢ふことの夜をし隔てぬ仲ならばひる間も何かまばゆからまし さすがに口疾くなどははべりき と しづしづと申せば 君達あさましと思ひて 嘘言 とて笑ひたまふ いづこのさる女かあるべき おいらかに鬼とこそ向かひゐたらめ むくつけきこと と爪弾きをして 言はむ方なし と 式部をあはめ憎みて すこしよろしからむことを申せ と責めたまへど これよりめづらしきことはさぶらひなむやとてをり


02帚木11章(116-118)

02116 すべて男も女も悪ろ者は わづかに知れる方のことを残りなく見せ尽くさむと思へるこそ いとほしけれ 三史五経 道々しき方を 明らかに悟り明かさむこそ 愛敬なからめ などかは 女といはむからに 世にあることの公私につけて むげに知らずいたらずしもあらむ わざと習ひまねばねど すこしもかどあらむ人の 耳にも目にもとまること 自然に多かるべし さるままには 真名を走り書きて さるまじきどちの女文に なかば過ぎて書きすすめたる あなうたて この人のたをやかならましかばと見えたり 心地にはさしも思はざらめど おのづからこはごはしき声に読みなされなどしつつ ことさらびたり 上臈の中にも 多かることぞかし
02117 歌詠むと思へる人の やがて歌にまつはれ をかしき古言をも初めより取り込みつつ すさまじき折々 詠みかけたるこそ ものしきことなれ 返しせねば情けなし えせざらむ人ははしたなからむ さるべき節会など 五月の節に急ぎ参る朝 何のあやめも思ひしづめられぬに えならぬ根を引きかけ 九日の宴に まづ難き詩の心を思ひめぐらして暇なき折に 菊の露をかこち寄せなどやうの つきなき営みにあはせ さならでもおのづから げに後に思へばをかしくもあはれにもあべかりけることの その折につきなく 目にとまらぬなどを 推し量らず詠み出でたる なかなか心後れて見ゆ
02118 よろづのことに などかは さても とおぼゆる折から 時々 思ひわかぬばかりの心にては よしばみ情け立たざらむなむ目やすかるべき すべて 心に知れらむことをも 知らず顔にもてなし 言はまほしからむことをも 一つ二つのふしは過ぐすべくなむあべかりける と言ふにも 君は 人一人の御ありさまを 心の中に思ひつづけたまふ これに足らずまたさし過ぎたることなくものしたまひけるかな と ありがたきにも いとど胸ふたがる いづ方により果つともなく 果て果てはあやしきことどもになりて 明かしたまひつ


02帚木12章(119-123)

02119 からうして今日は日のけしきも直れり かくのみ籠もりさぶらひたまふも 大殿の御心いとほしければ まかでたまへり おほかたの気色 人のけはひも けざやかにけ高く 乱れたるところまじらず なほ これこそは かの 人びとの捨てがたく取り出でしまめ人には頼まれぬべけれ と思すものから あまりうるはしき御ありさまの とけがたく恥づかしげに思ひしづまりたまへるをさうざうしくて 中納言の君 中務などやうの おしなべたらぬ若人どもに 戯れ言などのたまひつつ 暑さに乱れたまへる御ありさまを 見るかひありと思ひきこえたり 大臣も渡りたまひて うちとけたまへれば 御几帳隔てておはしまして 御物語聞こえたまふを 暑きに とにがみたまへば 人びと笑ふ あなかま とて 脇息に寄りおはす いとやすらかなる御振る舞ひなりや
02120 暗くなるほどに 今宵 中神 内裏よりは塞がりてはべりけり と聞こゆ さかし 例は忌みたまふ方なりけり 二条の院にも同じ筋にて いづくにか違へむ いと悩ましきに とて大殿籠もれり いと悪しきことなり と これかれ聞こゆ 紀伊守にて親しく仕うまつる人の 中川のわたりなる家なむ このころ水せき入れて 涼しき蔭にはべる と聞こゆ いとよかなり 悩ましきに 牛ながら引き入れつべからむ所を とのたまふ 忍び忍びの御方違へ所は あまたありぬべけれど 久しくほど経て渡りたまへるに 方塞げて ひき違へ他ざまへと思さむは いとほしきなるべし 紀伊守に仰せ言賜へば 承りながら 退きて 伊予守の朝臣の家に慎むことはべりて 女房なむまかり移れるころにて 狭き所にはべれば なめげなることやはべらむ と 下に嘆くを 聞きたまひて その人近からむなむ うれしかるべき 女遠き旅寝は もの恐ろしき心地すべきを ただその几帳のうしろに とのたまへば げに よろしき御座所にも とて 人走らせやる いと忍びて ことさらにことことしからぬ所をと 急ぎ出でたまへば 大臣にも聞こえたまはず 御供にも睦ましき限りしておはしましぬ にはかにとわぶれど 人も聞き入れず 寝殿の東面払ひあけさせて かりそめの御しつらひしたり 水の心ばへなど さる方にをかしくしなしたり 田舎家だつ柴垣して 前栽など心とめて植ゑたり 風涼しくて そこはかとなき虫の声々聞こえ 蛍しげく飛びまがひて をかしきほどなり
02121 人びと 渡殿より出でたる泉にのぞきゐて 酒呑む 主人も肴求むと こゆるぎのいそぎありくほど 君はのどやかに眺めたまひて かの 中の品に取り出でて言ひし この並ならむかしと思し出づ 思ひ上がれる気色に聞きおきたまへる女なれば ゆかしくて耳とどめたまへるに この西面にぞ人のけはひする 衣の音なひはらはらとして 若き声どもにくからず さすがに忍びて 笑ひなどするけはひ ことさらびたり 格子を上げたりけれど 守 心なし とむつかりて下しつれば 火灯したる透影 障子の上より漏りたるに やをら寄りたまひて 見ゆや と思せど 隙もなければ しばし聞きたまふに この近き母屋に集ひゐたるなるべし うちささめき言ふことどもを聞きたまへば わが御上なるべし いといたうまめだちて まだきに やむごとなきよすが定まりたまへるこそ さうざうしかめれ されどさるべき隈には よくこそ 隠れ歩きたまふなれ など言ふにも 思すことのみ心にかかりたまへば まづ胸つぶれて かやうのついでにも 人の言ひ漏らさむを 聞きつけたらむ時 などおぼえたまふ ことなることなければ 聞きさしたまひつ 式部卿宮の姫君に朝顔奉りたまひし歌などを すこしほほゆがめて語るも聞こゆ くつろぎがましく 歌誦じがちにもあるかな なほ見劣りはしなむかし と思す
02122 守出で来て 灯籠掛け添へ 灯明くかかげなどして 御くだものばかり参れり とばり帳も いかにぞは さる方の心もとなくては めざましき饗応ならむ とのたまへば 何よけむとも えうけたまはらず と かしこまりてさぶらふ 端つ方の御座に 仮なるやうにて大殿籠もれば 人びとも静まりぬ 主人の子ども をかしげにてあり 童なる 殿上のほどに御覧じ馴れたるもあり 伊予介の子もあり あまたある中に いとけはひあてはかにて 十二三ばかりなるもあり いづれかいづれ など問ひたまふに これは 故衛門督の末の子にて いとかなしくしはべりけるを 幼きほどに後れはべりて 姉なる人のよすがに かくてはべるなり 才などもつきはべりぬべく けしうははべらぬを 殿上なども思ひたまへかけながら すがすがしうはえ交じらひはべらざめる と申す
02123 あはれのことや この姉君や まうとの後の親 さなむはべる と申すに 似げなき親をも まうけたりけるかな 主上にも聞こし召しおきて 宮仕へに出だし立てむと漏らし奏せし いかになりにけむと いつぞやのたまはせし 世こそ定めなきものなれ と いとおよすけのたまふ 不意に かくてものしはべるなり 世の中といふもの さのみこそ 今も昔も 定まりたることはべらね 中についても 女の宿世は浮かびたるなむ あはれにはべる など聞こえさす 伊予介は かしづくや 君と思ふらむな いかがは 私の主とこそは思ひてはべるめるを 好き好きしきことと なにがしよりはじめて うけひきはべらずなむ と申す さりとも まうとたちのつきづきしく今めきたらむに おろしたてむやは かの介は いとよしありて気色ばめるをや など 物語したまひて いづかたにぞ 皆 下屋におろしはべりぬるを えやまかりおりあへざらむ と聞こゆ 酔ひすすみて 皆人びと簀子に臥しつつ 静まりぬ


02帚木13章(124-127)

02124 君はとけても寝られたまはず いたづら臥しと思さるるに御目覚めて この北の障子のあなたに人のけはひするを こなたや かくいふ人の隠れたる方ならむ あはれやと御心とどめて やをら起きて立ち聞きたまへば ありつる子の声にて ものけたまはる いづくにおはしますぞ とかれたる声のをかしきにて言へば ここにぞ臥したる 客人は寝たまひぬるか いかに近からむと思ひつるを されどけ遠かりけりと言ふ 寝たりける声のしどけなき いとよく似通ひたれば いもうとと聞きたまひつ 廂にぞ大殿籠もりぬる 音に聞きつる御ありさまを見たてまつりつる げにこそめでたかりけれとみそかに言ふ 昼ならましかば 覗きて見たてまつりてまし とねぶたげに言ひて 顔ひき入れつる声す ねたう 心とどめても問ひ聞けかし とあぢきなく思す まろは端に寝はべらむ あなくるし とて灯かかげなどすべし 女君は ただこの障子口筋交ひたるほどにぞ臥したるべき 中将の君はいづくにぞ 人げ遠き心地してもの恐ろしと言ふなれば 長押の下に人びと臥して答へすなり 下に湯におりて ただ今参らむとはべると言ふ
02125 皆静まりたるけはひなれば 掛金を試みに引きあけたまへれば あなたよりは鎖さざりけり 几帳を障子口には立てて 灯はほの暗きに 見たまへば唐櫃だつ物どもを置きたれば 乱りがはしき中を 分け入りたまへれば ただ一人いとささやかにて臥したり なまわづらはしけれど 上なる衣押しやるまで求めつる人と思へり 中将召しつればなむ 人知れぬ思ひのしるしある心地してとのたまふを ともかくも思ひ分かれず 物に襲はるる心地して やとおびゆれど 顔に衣のさはりて音にも立てず うちつけに 深からぬ心のほどと見たまふらむ ことわりなれど 年ごろ思ひわたる心のうちも 聞こえ知らせむとてなむ かかるをりを待ち出でたるも さらに浅くはあらじと思ひなしたまへと いとやはらかにのたまひて 鬼神も荒だつまじきけはひなれば はしたなく ここに人ともえののしらず 心地はた わびしくあるまじきことと思へば あさましく 人違へにこそはべるめれと言ふも息の下なり 消えまどへる気色 いと心苦しくらうたげなれば をかしと見たまひて 違ふべくもあらぬ心のしるべを 思はずにもおぼめいたまふかな 好きがましきさまには よに見えたてまつらじ 思ふことすこし聞こゆべきぞとて いと小さやかなれば かき抱きて障子のもと出でたまふにぞ 求めつる中将だつ人来あひたる ややとのたまふに あやしくて探り寄りたるにぞ いみじく匂ひみちて 顔にもくゆりかかる心地するに 思ひ寄りぬ あさましう こはいかなることぞと思ひまどはるれど 聞こえむ方なし 並々の人ならばこそ荒らかにも引きかなぐらめ それだに人のあまた知らむはいかがあらむ 心も騷ぎて慕ひ来たれど動もなくて 奥なる御座に入りたまひぬ
02126 障子をひきたてて 暁に御迎へにものせよとのたまへば 女は この人の思ふらむことさへ死ぬばかりわりなきに 流るるまで汗になりて いと悩ましげなる いとほしけれど 例の いづこより取う出たまふ言の葉にかあらむ あはれ知らるばかり 情け情けしくのたまひ尽くすべかめれど なほいとあさましきに 現ともおぼえずこそ 数ならぬ身ながらも 思しくたしける御心ばへのほども いかが浅くは思うたまへざらむ いとかやうなる際は際とこそはべなれとて かくおし立ちたまへるを 深く情けなく憂しと思ひ入りたるさまも げにいとほしく 心恥づかしきけはひなれば その際々をまだ知らぬ初事ぞや なかなか おしなべたる列に思ひなしたまへるなむうたてありける おのづから聞きたまふやうもあらむ あながちなる好き心はさらにならはぬを さるべきにや げに かくあはめられたてまつるもことわりなる心まどひを みづからもあやしきまでなむ などまめだちてよろづにのたまへど いとたぐひなき御ありさまの いよいようちとけきこえむことわびしければ すくよかに心づきなしとは見えたてまつるとも さる方の言ふかひなきにて過ぐしてむ と思ひてつれなくのみもてなしたり
02127 人柄のたをやぎたるに 強き心をしひて加へたれば なよ竹の心地して さすがに折るべくもあらず まことに心やましくて あながちなる御心ばへを 言ふ方なしと思ひて泣くさまなど いとあはれなり 心苦しくはあれど 見ざらましかば口惜しからましと思す 慰めがたく憂しと思へれば などかく疎ましきものにしも思すべき おぼえなきさまなるしもこそ 契りあるとは思ひたまはめ むげに世を思ひ知らぬやうにおぼほれたまふなむ いとつらきと恨みられて いとかく憂き身のほどの定まらぬ ありしながらの身にて かかる御心ばへを見ましかば あるまじき我が頼みにて見直したまふ後瀬をも 思ひたまへ慰めましを いとかう仮なる浮き寝のほどを思ひはべるに たぐひなく思うたまへ惑はるるなり よし 今は見きとなかけそ とて思へるさま げにいとことわりなり おろかならず契り慰めたまふこと多かるべし


02帚木14章(128-)

02128 鳥も鳴きぬ 人びと起き出でて いといぎたなかりける夜かな 御車ひき出でよなど言ふなり 守も出で来て 女などの御方違へこそ 夜深く急がせたまふべきかはなど言ふもあり 君は またかやうのついであらむこともいとかたく さしはへてはいかでか 御文なども通はむことのいとわりなきを思すに いと胸いたし 奥の中将も出でて いと苦しがれば 許したまひても また引きとどめたまひつつ いかでか聞こゆべき 世に知らぬ御心のつらさもあはれも 浅からぬ世の思ひ出では さまざまめづらかなるべき例かなとて うち泣きたまふ気色 いとなまめきたり 鶏もしばしば鳴くに 心あわたたしくて
 つれなきを恨みも果てぬしののめにとりあへぬまでおどろかすらむ
女 身のありさまを思ふに いとつきなくまばゆき心地して めでたき御もてなしも何ともおぼえず 常はいとすくすくしく心づきなしと 思ひあなづる伊予の方の思ひやられて 夢にや見ゆらむと そら恐ろしくつつまし
 身の憂さを嘆くにあかで明くる夜はとり重ねてぞ音もなかれける
02129 ことと明くなれば 障子口まで送りたまふ 内も外も人騒がしければ 引き立てて 別れたまふほど 心細く 隔つる関と見えたり 御直衣など着たまひて 南の高欄にしばしうち眺めたまふ 西面の格子そそき上げて 人びと覗くべかめる 簀子の中のほどに立てたる小障子の上より仄かに見えたまへる御ありさまを 身にしむばかり思へる好き心どもあめり 月は有明にて 光をさまれるものから かげけざやかに見えて なかなかをかしき曙なり 何心なき空のけしきも ただ見る人から 艶にもすごくも見ゆるなりけり 人知れぬ御心には いと胸いたく 言伝てやらむよすがだになきをと かへりみがちにて出でたまひぬ 殿に帰りたまひても とみにもまどろまれたまはず またあひ見るべき方なきを まして かの人の思ふらむ心の中 いかならむと 心苦しく思ひやりたまふ すぐれたることはなけれど めやすくもてつけてもありつる中の品かな 隈なく見集めたる人の言ひしことは げにと思し合はせられけり 


02帚木15章(130-133)

02130 このほどは大殿にのみおはします なほいとかき絶えて 思ふらむことのいとほしく御心にかかりて 苦しく思しわびて 紀伊守を召したり かの ありし中納言の子は 得させてむや らうたげに見えしを 身近く使ふ人にせむ 主上にも我奉らむとのたまへば いとかしこき仰せ言にはべるなり 姉なる人にのたまひみむと申すも 胸つぶれて思せど その姉君は 朝臣の弟や持たる さもはべらず この二年ばかりぞ かくてものしはべれど 親のおきてに違へりと思ひ嘆きて 心ゆかぬやうになむ 聞きたまふる あはれのことや よろしく聞こえし人ぞかし まことによしやとのたまへば けしうははべらざるべし もて離れてうとうとしくはべれば 世のたとひにて 睦びはべらずと申す
02131 さて 五六日ありて この子率て参れり こまやかにをかしとはなけれど なまめきたるさまして あて人と見えたり 召し入れて いとなつかしく語らひたまふ 童心地に いとめでたくうれしと思ふ いもうとの君のことも詳しく問ひたまふ さるべきことは答へ聞こえなどして 恥づかしげにしづまりたれば うち出でにくし されどいとよく言ひ知らせたまふ かかることこそはと ほの心得るも 思ひの外なれど 幼な心地に深くしもたどらず 御文を持て来たれば 女 あさましきに涙も出で来ぬ この子の思ふらむこともはしたなくて さすがに 御文を面隠しに広げたり いと多くて
 見し夢を逢ふ夜ありやと嘆くまに目さへあはでぞころも経にける
寝る夜なければなど 目も及ばぬ御書きざまも 霧り塞がりて 心得ぬ宿世うち添へりける身を思ひ続けて臥したまへり
02132 またの日 小君召したれば 参るとて御返り乞ふ かかる御文見るべき人もなし と聞こえよとのたまへば うち笑みて 違ふべくものたまはざりしものを いかがさは申さむと言ふに 心やましく 残りなくのたまはせ 知らせてけると思ふに つらきこと限りなし いで およすけたることは言はぬぞよき さは な参りたまひそとむつかられて 召すには いかでかとて 参りぬ 紀伊守 好き心にこの継母のありさまをあたらしきものに思ひて 追従しありけば この子をもてかしづきて 率てありく
君 召し寄せて 昨日待ち暮らししを なほあひ思ふまじきなめりと怨じたまへば 顔うち赤めてゐたり いづらとのたまふに しかしかと申すに 言ふかひなのことや あさましとて またも賜へり あこは知らじな その伊予の翁よりは 先に見し人ぞ されど 頼もしげなく頚細しとて ふつつかなる後見まうけて かく侮りたまふなめり さりとも あこはわが子にてをあれよ この頼もし人は 行く先短かりなむとのたまへば さもやありけむ いみじかりけることかなと思へる をかしと思す この子をまつはしたまひて 内裏にも率て参りなどしたまふ わが御匣殿にのたまひて 装束などもせさせ まことに親めきてあつかひたまふ
02133 御文は常にあり されど この子もいと幼し 心よりほかに散りもせば 軽々しき名さへとり添へむ 身のおぼえをいとつきなかるべく思へば めでたきこともわが身からこそと思ひて うちとけたる御答へも聞こえず ほのかなりし御けはひありさまは げに なべてにやはと 思ひ出できこえぬにはあらねど をかしきさまを見えたてまつりても 何にかはなるべきなど 思ひ返すなりけり 君は思しおこたる時の間もなく 心苦しくも恋しくも思し出づ 思へりし気色などのいとほしさも 晴るけむ方なく思しわたる 軽々しく這ひ紛れ立ち寄りたまはむも 人目しげからむ所に 便なき振る舞ひやあらはれむと 人のためもいとほしくと思しわづらふ


02帚木16章(134-138)

02134 例の 内裏に日数経たまふころ さるべき方の忌み待ち出でたまふ にはかにまかでたまふまねして 道のほどよりおはしましたり 紀伊守おどろきて 遣水の面目とかしこまり喜ぶ 小君には 昼より かくなむ思ひよれるとのたまひ契れり 明け暮れまつはし馴らしたまひければ 今宵もまづ召し出でたり
02135 女も さる御消息ありけるに 思したばかりつらむほどは 浅くしも思ひなされねど さりとてうちとけ 人げなきありさまを見えたてまつりてもあぢきなく 夢のやうにて過ぎにし嘆きを またや加へむと思ひ乱れて なほさて待ちつけきこえさせむことのまばゆければ 小君が出でて往ぬるほどに いとけ近ければ かたはらいたし なやましければ 忍びてうち叩かせなどせむに ほど離れてをとて 渡殿に 中将といひしが局したる隠れに 移ろひぬ
02136 さる心して 人とく静めて 御消息あれど 小君は尋ねあはず よろづの所求め歩きて 渡殿に分け入りて からうしてたどり来たり いとあさましくつらし と思ひて いかにかひなしと思さむと 泣きぬばかり言へば かく けしからぬ心ばへは つかふものか 幼き人のかかること言ひ伝ふるは いみじく忌むなるものをと言ひおどして 心地悩ましければ 人びと避けずおさへさせてなむと聞こえさせよ あやしと誰も誰も見るらむと言ひ放ちて 心の中には いと かく品定まりぬる身のおぼえならで 過ぎにし親の御けはひとまれるふるさとながら たまさかにも待ちつけたてまつらば をかしうもやあらまし しひて思ひ知らぬ顔に見消つも いかにほど知らぬやうに思すらむと 心ながらも 胸いたく さすがに思ひ乱る とてもかくても 今は言ふかひなき宿世なりければ 無心に心づきなくて止みなむと思ひ果てたり
02137 君は いかにたばかりなさむと まだ幼きをうしろめたく待ち臥したまへるに 不用なるよしを聞こゆれば あさましくめづらかなりける心のほどを 身もいと恥づかしくこそなりぬれと いといとほしき御気色なり とばかりものものたまはず いたくうめきて 憂しと思したり
 帚木の心を知らで園原の道にあやなく惑ひぬるかな
聞こえむ方こそなけれとのたまへり 女も さすがにまどろまざりければ
 数ならぬ伏屋に生ふる名の憂さにあるにもあらず消ゆる帚木
と聞こえたり 小君 いといとほしさに眠たくもあらでまどひ歩くを 人あやしと見るらむとわびたまふ
02138 例の 人びとはいぎたなきに 一所すずろにすさまじく思し続けらるれど 人に似ぬ心ざまの なほ消えず立ち上れりけるとねたく かかるにつけてこそ心もとまれと かつは思しながら めざましくつらければ さばれと思せども さも思し果つまじく 隠れたらむ所に なほ率て行けとのたまへど いとむつかしげにさし籠められて 人あまたはべるめれば かしこげにと聞こゆ いとほしと思へり よし あこだにな捨てそとのたまひて 御かたはらに臥せたまへり 若くなつかしき御ありさまを うれしくめでたしと思ひたれば つれなき人よりは なかなかあはれに思さるとぞ


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